ヴィジョンオブヨガ台北2015前期九日目 2015.9.12
ヴィジョンオブヨガはどこの国で開講されようとも、アサナクラスも哲学の講義も、そのほとんどがサンスクリット語を基盤にして進められる
なので、“英語”の通訳としてクラスを補佐する際も、講師としてクラスを指導する際も、私は最初に「サンスクリット語を日本語に訳さない」ことをお断りします
一つの言語を異言語に100%訳すことは不可能だと思うし、異言語に変換した段階で、元の言葉の持つ意味の数割が損なわれ、壮大な先人の思想の本質が失われることを避けたいと思うから
それが通訳の腕の見せ所、講師の講師たる所以と言われれば、単にわたしが発展途上の未熟者であるのだろうけど、わたしは敢えて、サンスクリットの単語の意味の適訳を探すことは各々の受講生に一任する
もちろん、言葉の語源の説明や、私なりの解釈は伝えるけれど、その単語の最終的な翻訳は個々人が時間をかけて、自分なりの日本語(母国語)を探せばいいと私は思っている
例えばDharmaダルマというサンスクリット語を“秩序”とか“自然の法則”とか訳している翻訳本を見かけるし、それ自体が間違っているわけではないけれども、これまた“秩序”という日本語の受け止め方も人それぞれだと思うし、多方向からの説明を加えて敢えて“日本語ではこう訳します”と押し付けないことで、自分で考える能力を養って欲しいと、ほんの数歩学びの道の先を歩く先輩として、お粗末ながら思うのである
そうでなければ、ヨガもまた受験勉強の一環に陥り、暗記をし、他者の理解をコピペし、あたかも自分で考えたような錯覚に陥り、実のところ何も理解していないままヨガを学び続け、自分の日常生活のどこにどう反映させるべきかわからないまま、ヨガを始めて何も変わらない人生を歩み続けることになるのだ
ヴィジョンオブヨガで毎日出される“考える”という課題は、“考える”ことに慣れていない私達受験の申し子世代には大変な作業かもしれない
Pancha Yamaを宿題に出せば、教科書を丸写ししてくる生徒もいれば、5つの見事な二字熟語に翻訳してくる生徒もいる
なので、質問の仕方を変えてみる
「実例を挙げて説明せよ」
自分の体験を書くのに、正解も不正解もない
自分の人生を振り返り、日々見過ごしてきたことに目を向ける作業は、一度その面白さに気付いたら、至福の時間に変わるはず
自分のことだけを見つめ、自分のことだけを考え、自分を理解する、という人生で一番贅沢な時間
それがヴィジョンオブヨガの醍醐味だと、今回久々にマスター・スダカーの講義を一生徒として聴講しながら思った
メモ取りに没頭するなんて時間の無駄
誰かに教える為に受講するなんて勿体ない
ヴィジョンオブヨガは単に学ぶ場所ではなく、体験する学校なのだ
体験は血となり肉となり、メモなどなくても
自分の中で自分の言葉に変換されていつか必ず飛び出してくる
誰かに伝達するのは、ただその機が熟すのを待てばいいの