陸は物心ついた時にはこの蔵に居たらしい。いつからここにいるのかは分からないという。 一筋の陽の光も差さない暗い土蔵は時間感覚を曖昧にさせる。朝なのか夜なのかの判別がつかず、いつからここにいるのか、ここにいてどれくらいになるのかも分からない。 ……加えて、己は何者なのだろう、と自身のことを知りたくても陸は自分の名前も分からなければ、この蔵にいる以前の記憶もなかった。 けれど、朝焼けの眩しさや夜空をまぶたの裏で描くことができるし、満開の桜も夏の暑さも、色づく山々も冬の静けさも知っている。この蔵以外で生きた記憶がないのに、外の世界を知っていることが不気味だった。 陸が理解していたことは、ここを出てはいけないことと、祈りを捧げる役目があることだ。 ……それと、己が蔵に封じ込められた化け物だということも。 陸は自身が化け物だといわれていることを知っていたし、陸自身もそうだと思っている。 田畑を荒らしたり水を干上がらせるといった記憶はないけれど、空腹になることも、眠ることも必要がない己の体は文字通り化け物なのだと思わざるを得まい。それに記憶がないということは、知らないだけで本当にそれらが事実である可能性もある。ひっ、ひっ、と肩を揺らして静かに陸が泣く。その泣き方があまりにも胸を締め付けるもので。見てられなくて、天は堪らず握っていた手を持ち上げると自分の方へと引き寄せて、小さく丸まった肩を、体を、腕の中に閉じ込めた。 「陸、陸」 君は化け物だと呼ばれるような者でなく、陸なのだと分からせたい。けれど、募り募った悲しみをたった数刻で癒せるはずなどなく……それでも、と天は抱きしめる腕に力を込めた。 眠ることのない夜は、どれほど長かったろうか。朝と夜と四季の区別もつかない一日一日を積み重ねた膨大な時間はどれほど陸を孤独にしたのだろう。陸の生きてきた時間を思った、それは足の竦むようなものだったに違いない。 「……陸、これからは、ボクがいる」 ピク、と腕の中の陸が反応した。緩慢な動作で胸板に手を当てられ、そっと体を離される。そうして下から天の顔を伺った。顔というより、天の瞳を覗き込んで、そこに嘘を探していた。 まだきっとどれだけ天が言葉を尽くしても体験した事実を覆してなにもかもを無に帰すことはできないだろう。けれど、天はこうして陸と出会い、そうして、身勝手にもう決めてしまった。陸の傷ついた心を癒すと。 陸の瞳を見返して、じわりと細める。 この子の事を幸せにしてあげたいと思った。 一目見た時から、あの声を耳にした時から、この少年に魅せられて、そうして。 天は陸に恋をした。