・当時の緋村剣心は苗字帯刀を許されていたどころか存在すらも認められていなかったはずです。
(『人斬りは表に出ない方が双方にとって都合が良い』と本人も言ってますし)
・それに緋村は(一応)元々は高杉晋作の結成した奇兵隊の出身ですから、身分なんぞについて とやかく言う人間は居なかったはずです。奇兵隊は『身分も格式も一切関係無し。問うは志と実力。』ですから。
(緋村は高杉晋作の元から桂小五郎の元に移っている。形式上ですが)
・それに『人斬り抜刀斎』の名前が売れたのは影の人斬りから遊撃剣士になった後です。
既に『影の人斬り』として3桁に近い暗殺をこなしていた緋村に対して苗字帯刀を認めない等と言える人間は居なかったでしょうし、士農工商の在り方を壊し四民平等を唱える志士ならば尚更、『身分がどーのこーの』とは言わ(言え)なかったはずです。維新志士の大物(桂、大久保、山県、etc…)とも繋がってますしね、緋村は。
→幕末の緋村は士農工商のどれにも当て嵌まらない『維新志士』であった。というのが私の見解です。
駄文長文、失礼しました。