――呼ばれている。 闇という名の冥府に落ちたはずの魂が、なぜか繋ぎ止められた。 天貴星グリフォンのミーノスは、上下も定かで無い時間と空間の中で目を開ける。 「ここは……どこでしょうか」 声にしたことで思い出した。自分はあの忌々しくも美しい魚座によって、倒されたことを。 胸を射抜いた白薔薇。屈辱であり、鋭い痛みであり、毒の血が体を駆け巡る――それは恍惚だった。「アテナ様の作られた結界の中だ」 応える声は、だから、ひどく嬉しく耳朶をかすめた。 「……アルバフィカ。まだ生きていたのですね」 闇の中に水の如き青の髪が翻り、黄金の聖衣と白いマントが浮かび上がる。そしてあの瞳。宝石のようで宝石よりも美しい青藍の瞳が彼を――ミーノスを捉えていた。 「いいや、私はもう死んだ身だ。天貴星グリフォンのミーノス」 「それはそれは」 残念なようでもあり、嬉しくもあった。この麗人が死んだことも、それを成したのが自分であることも。「何を笑う?」 「いえ、なかなか楽しい趣向に思えまして」 小宇宙を感じる。魚座の言う女神の小宇宙、確かにその中に自分は囚われているらしい。だが一方で、呼ぶ声がする。主の――冥王ハーデスの声だ。 「行かせんぞ」 光速で飛んできた拳を紙一重でかわして、かわりに得意の足技を叩き込む。 アルバフィカもまた、それをくるりと回転して避け、距離をとった。「やりにくいですねえ」 「冥闘士ともあろうものが、この程度の暗闇でか?」 「殴り合いなど、美しくありませんよ」 「一度死んだ程度では、その巫山戯た頭は治らんらしい」 「私たちは空間を操るもの同士。殴り合いなど美しくありません」 そう言うとミーノスは、右手で舞台の幕を開くかのごとく、この闇という名の空間をひっかく。 舞台は一瞬にして、どこかの宮殿の前庭へと移っていた。 「ここは……?」 「私の宮殿です。冥界でのね」 アルバフィカはあたりを見回し、ついでミーノスを見据えて一言。 「幻にすぎない」 対するミーノスは首をすくめながら、答えた。 「当然です。私ももう、死んだ身ですから」 「……」 「ご安心を。ここは相変わらず女神の維持している結界の中で、君が私をなんとしてでも留めたいと思っている時の狭間ですよ。なんのためかは知りませんけれどもね」 それだけ言って、冥衣を脱ぎ捨てる。代わりに赤に金の刺繍がされた長衣を取り出してまとうと、相変わらず闘志をむき出しにしているアルバフィカに向かって、挑戦的に微笑みかけた。 「招待して差し上げますよ。私の居城に」 「いらん」 「おや、時間を稼ぎたいのは君のほうだと思っていましたが。ここは時の狭間、そして双方ともにすでに死んだ身です。殴り合いなどしても意味はないでしょう。倒せないし、倒されない。そんなことより楽しく時間を使いませんか? アルバフィカ」 「お前は……」 「ああ、神など待たせておけばよろしいのです。どうせもう、私たちには関わりのないこと」 それとも、と言葉を継いだ。 「アテナの聖闘士はそんなことも理解できないほど愚かなのですかね?」「理解できないのではない!」 アルバフィカの叫びと共に、彼の小宇宙がミーノスの身体を、宮殿を、幻をふるわせる。 「私は……。お前は悔しくないのか?! 聖戦はまだ始まったばかり。そこで倒され、同胞は未だ戦いの途上にある。死んだからといって諦められるのか?! お前は、お前は私と違って未だ主に呼ばれている。ハーデスの声に応えなくていいのか?!」「……美しいですねえ」 激昂する姿もまた美しく、それ以上に魂の有り様が美しい。 アルバフィカという男の本質を、どうして自分は見誤っていたのだろうか。悔やむとすればそこだった。そして、そこだけだった。 「私は満足していますよ。最期に君という敵に出会えて。だから君も満足すべきではないですかね。なにせこの私――冥界軍、三巨頭の一人、天貴星グリフォンのミーノスを倒したのですから」「満足など、出来るものか」 顔を伏せたアルバフィカは絞りだすように声を発する。 「それは心外です」 だが、魚座の聖衣はアルバフィカの身を外れた。もっとも、それもまた幻に過ぎないのだろうが。 「いいだろう。お前の策に乗ってやる」 顔をあげたアルバフィカは、少年のように真っ直ぐな眼差しでミーノスを射抜く。 「面白いものを見せてくれるんだろうな?」 ――君以上に面白く、美しいものなんてありませんが。 正直な言葉を紡げば、ただみすみすと獲物を逃してしまうだけだと知っていたので、ミーノスは肩をすくめて宮殿の中へと入っていった。後ろから魚座の男が付いてくることを確信しながら。