将来より目前の楽しみ
私たちはなぜ甘いものが好きなのか? なぜ塩味や油脂が好きなのか? もちろん、人によって好き嫌いはあるものの、多くの人は甘いお菓子を好み、ゆで卵には塩をかけたいと思い、フライドポテトや霜降り肉が好きである。
ヒトにこのようなあらがいがたい嗜好(しこう)があるのは、糖類も塩も油脂も、私たちの生存上は非常に重要な要素なのに、これらがふんだんに手に入ることなど、人類進化史を通じてほとんどあり得なかったからだ。非常に重要で、かつ、めったに手に入らない栄養であるので、それに対する格別の好みが進化した。幸運にも手に入った時には、できるだけそれを摂取せよというのが遺伝子の要求だ。
糖分も塩も油脂も、私たちがそれを強く欲するがゆえに、この100年余りの文明において、これらをあり余るほどに生産する技術が開発され、安く市場に出回るようになった。ところが、遺伝子の要求水準は依然として高いままに設定されている。なぜなら、進化史において、これらが必要以上に存在するという状況はなかったのだから。これでは、欲求に歯止めをかけるメカニズムは進化できない。人間が自分自身で開発した文明において、短い時間のうちに供給サイドを大幅に拡張し、摂取に歯止めがきかない状態を自ら作りだしてしまったのである。
18世紀の啓蒙(けいもう)思想家のルソーは、週に1度だったか、就寝前にとても濃い砂糖水をなめるのが楽しみだったそうだ。ほんの250年ほど前、当時の豊かな西欧文明においてさえ、砂糖はそれほど貴重だったのである。ルソーがコンビニに並ぶ大量の安いお菓子や清涼飲料をながめ、メタボの子どもたちを見たならば、心底仰天するに違いない。
甘いものを食べ過ぎてはいけないという認識は、教育と情報提供によってかなり広がってきた。しかし、目前の欲求はいかに強いものか。だからダイエットは難しいのである。
ダイエットが難しいのには、もう一つ理由がある。今お菓子を食べるのは現在の確実な満足だが、ダイエットが功を奏するのは将来の不確実な満足である。現在と将来の楽しみを比較すれば、まずは現在の楽しみが優先され、将来は割り引かれる。この現象はヒトに限ったことではなく、多くの動物がそうであり、時間割引と呼ばれている。
今チョコレートを一つもらうか、明日二つもらうか、どちらがよいかと問われたらどうするだろう? 今日1000円もらうのと、1週間後に3000円もらうのではどうか? 1年後の10万円では? 遠い将来になるほど不確実さが増すので、喜びは割り引かれる。
しかし、割引率は誰でも同じではない。例えば、今切羽詰まった状態にある人ほど時間割引率は高い。今困っている人にとって、1週間後の満足などは無に等しい。コストの方も同じように時間割引されるので、今1万円借りられれば、1週間後に法外な利息がつくことは割り引いてしまう。
また、一般に青少年は成人よりも時間割引率が高い。青少年は自分自身の成長のために、貪欲に資源を得ていかねばならないライフステージなので、成人よりも「今、ここ」を重視するよう、進化的につくられているのである。そこで、万引きやけんかなどの衝動的な犯罪の率も、青少年の方が成人よりも高い。今欲しいものを手に入れること、今競争に勝つことが、将来の他の喜びよりも重要だからである。
欲求や情動は、ヒトの進化の過程で作られてきた。だから、甘いものはおいしいし、目前の楽しみは将来の楽しみに勝る。しかし、私たちの脳は、欲求や情動が一人で勝手に采配をふらないようにする装置も持っている。それが前頭葉だ。目の上の、おでこの奥にある脳の部分である。
前頭葉は、欲求や情動やさまざまな感覚器からの情報を集め、これまでに学習した知識を思い出し、現在と将来を比較して、全体を総合的に判断する。脳の進化の中では最後に現れた部分で、ヒトは脳全体に対して最も大きな前頭葉を持っている。欲求や情動は、生きる動機付けを与える原動力である。その上で、前頭葉が総合判断をするわけだが、そのことが分かっていれば、やみくもに「理性」を信じるよりも、人間がよりよく理解できると思うのである。