「兄上。お帰りなさい」帰りついた自宅にて、弟に出迎えられる。今夜は父も母も会食があると、兄弟二人での夕飯の予定だった。嬉しそうに用意する弟の顔は、留学から帰ってきた当初は大きくなったものだと思ったが、まだまだ杏寿郎が知る弟のようだった。手伝ったせいで珍妙な味になった夕食を兄弟水入らずでとりつつ、今日あったことを話す。楽しそうに授業のこと、友達のことを話してくれる弟に、杏寿郎も通った中学の名物教師たちは、今も健在らしいと知って安堵する。千寿郎も楽しい学校生活を送れているようだった。彼らなら、きっと小学校の頃のようなことは、決して起こらないだろう。「そうか!生物の授業でそんなことが!」「はい。解剖は、すこし苦手ですが、生物は本当に様々で…」そこで少し笑える動物の生態を披露してくるのが、微笑ましい。相槌を打ちながら杏寿郎が聞いていると、千寿郎が思い出したかのように聞いてきた。「そういえば、運命の番のかたはどうされたんですか?」「んん!」「兄上?」「うむ…千寿郎」「はい」「兄は、どうやらフラれたらしい!」「え、ええ?」唐突なフラれ宣言に動揺しつつも慰めてくれる優しい弟との食事を終えて、用意していてくれた湯船につかる。入浴剤で水面は白く濁り、少しとろみがある。風呂はいい。フランスに留学していた時には、シャワーばかりだったため、何度恋しく思ったことか分からない。「ふぅ…」肩まで浸かると、自然と吐息が漏れた。日本に帰ってきたのだなと、改めて感じる。のびのびと足を延ばし、心地よい温かさにたゆたう。(———…ああでも)あの熱が、一番心地良かった。立ち昇る森林の香りは、以前杏寿郎が好きだと言ったものを覚えていてくれたのだろう。弟の気遣いが嬉しい反面、鼻腔の奥には今も、甘いにおいが残っていて、邪魔だと思ってしまう。鼻の中に残ったわずかな甘く、けれど水のように、透明なそれに、どうしようもなく昂る。白い水面に、白い肌を投影してしまう。冨岡義勇。やっと出会えた、運命の相手。だが。