海外出張中に原因不明の飛行機事故で、主人が亡くなり、もうすぐ3年になる。口数のあまり多くなかった主人が、「定年になったら田舎に引っ込んで、時計とは縁のない生活をする」と繰り返し言っていたのが今も耳に残っている。時間に追われる生活を嫌っていた主人が「空港で新しいのを買うから」と言って、腕時計を残して行った。何も戻ってこなかった事故の思い出として、それが唯一残った。事故を忘れようと、主人を亡くしてからしばらくは外出する時や仕事に行くときに、時計を持たなかった。始めは不便に感じることもあったが、時間が経つにつれて不便に思うどころか、かえって気持ちに余裕が持てるようになった。歩きながら、「大丈夫かな、間に合うかな」と何度も時計を見たり、電車を待ちながらイライラすることはもうすっかり無くなった。不思議なことに、家の中でもあまり時計を見なくなった。時計を見ないからと言って、時間を意識しないわけではない。今大体何時ごろだろうとか、何分経っただろうと見当をつけて生活している。それが大きく外れることはない。以前は時計を見るたびに、「あと何分」と時間に追われて生活していた。それがそろそろだなと腰を上げ、出かける支度や食事の準備に取りかかる生活に変わってきた。主人は出発前にどんな時計を買ったのだろうか。いつもの調子で、機内で何度も何度も時計を見ているときに、事故が起こったのではないだろうか。「私は今田舎に引っ込みはしなかったけれど、時計のない生活に慣れて、時間に振り回されず、時計と縁のない生活ができていますよ」と時々主人の腕時計に語りかけている。