彼女には少しズレているところがあるのかな、と千聖は考察した。(録音をしているはずのに、さらに紙でもメモを取るような所も、ちょっと変わっているわよね)「迷った時のコツを、日菜から教わったんです。昼間にしか使えない技法なのですが」 高く高く昇った太陽を見据えながら、紗夜は語りだす。 彼女は日傘も差さず、右手の人差し指でまっすぐに太陽を指さした。「太陽の方向に、時計の短針を向けるんです。その時に、短針と12の数字の方向の角を二等分する向き、これが方位の南を表しています。詳しく調べたところ、実際の南とは7度ほどズレているそうですが、街並みを歩く際には大きな影響はないでしょう」「へえ、そうなのね」 詳細な知識を披露する紗夜に、千聖は感心しながら相槌を打つ。 博識そうなところはイメージ通りなのね、なんて確かめながら。 紗夜は左腕を水平に差し出した。飾り気のない茶色のベルトの時計が見える。 小さな文字盤に日差しが降り注ぎ、少し浮かび上がった針達は白いダイアルに影を落としている。 千聖は文字盤を見ても、現実には見えない角の二等分線が、正しく南を指しているだなんて実感が湧かなかった。「日菜の場合、夜間でも星を睨むと方位が分かるらしいのですが……流石にその技を松原さんが習得するのは難しいでしょうし、夜間に迷子にならないことを願うしかないですね」「日菜ちゃんは相変わらずすごいわね。ところで、紗夜ちゃん……方位が分かって、どうするのかしら」「え?」 紗夜は、少し驚いたかような……まさしく、『きょとん』、とした表情となった。 何を聞かれたのか、何を疑問に思われたのか、彼女は何も分かっていないようだ。 千聖の中で生まれた彼女の博識そうなイメージは、一旦定着することが預けられた。「えっと、そうね……目的の駅に戻るためには、東西南北のどの方向に進めばいいのかしら?」「…………なるほど」 その千聖の一言で、紗夜は自分の過ちを理解した。迷子と言う状態を体験したことがなかった故の間違いだった。 迷子の状態とは現在地が分からなくなっており、よってどの方向に向かえば目的地に正しくたどり着けるかが不明になっているのだ。 紗夜の思考の世界で、未知だった体験の理解が一つ広がった。 ノートにペンを走らせる紗夜を、千聖は何も言わず見上げていた。 授業中に板書を書き写す時ような表情のようね、なんて思いながら。 千聖が観測したこれまでの数日間、授業中の紗夜は、いつでもこのような表情だった。 早朝の一限目も、昼食後の五限目も。千聖が収録明けに遅刻して教室に入った時も。 ……しかし、ペンを動かす右手が止まってからも、紗夜は視線をノートから外さずに固まってしまった。 紗夜には、この後の手立てが何も無かった。 破綻した計画をどう修正したらよいかの検討も付けられない。 そんな彼女の膠着状態を察したのか、千聖は微笑みながら言葉を投げかけた。「とりあえず、適当な方向に歩いてみましょう?」「…………そうですね。それしかないですね」 千聖が歩みを再開すると、紗夜もそれに続いた。 ほんの少し、紗夜の歩幅が小さくなったようだ。 そんな彼女を横目に見ながら、彼女の計画性も意外とズレているところがあるのかしら、と千聖は思案した。