厳冬もかくやという今日この頃、普段は伽藍洞と言っても差し支えの無い近所の商店街は妙な熱気に満ち溢れていた。何でも町おこしの一環としてコスプレイベントなるものが開かれているのだという。どうせならハロウィンの時にでもやっておくべきだったのではないか? そんな疑問も脳裏を過ったが、深くは気にしないこととする。 さて、なぜわざわざこんなことに触れているのか。端的に言って巻き込まれたのだ。夕飯の食材を丁度切らしてしまったのが運の尽き。スーパーへの買い出しをしようにもこの商店街を抜けねばならず、普段の数十倍混雑している道で足止めを喰らってしまったのだ。別段時間に追われているわけではないが、さりとてこういったものに詳しい訳でもなく、独特の雰囲気の中に居るのは何となく居心地が悪い。急に外国の街の中に放置された気分だ。 「あら? あなたは何をしているの?」 声の主は小さな女の子であった。黒いエプロンドレスを身に纏い、さながら童話の主人公の様だ。 「何って……ここを通ろうと思って。」 「お祭りには行かないの?」 お祭り。まぁ確かにある種の祭りと言えば祭りだろう。 「あんまりこういうの興味ないんだ。」 少女の服装も何かのキャラクターのコスプレだろうが、生憎その手の知識には疎く、さっぱりわからない。 「そんなのちっとも関係無いわ。大切なのは楽しめるかどうかよ!」 そう胸を張って言う少女に対し、ただ生返事をすることしか出来なかった。 「さぁ、カボチャの馬車もネズミも馬車もここにはないけれど、素敵なドレスは用意しているわ。行きましょう!」 少女が手を強く引く――。なんとなく逆らうのも憚られて、導かれるままに建物の中に入った。 更衣室というには些か充実しているが、メイクスタジオと言われればやや見劣りする程度の部屋に通された。少女は先程から忙しなくあれやこれやと道具を見繕っている。 「お待たせしました!」 かた、とトレーを置く金属音が部屋に響く。何やら色とりどりの瓶が並んでいるが本当に大丈夫なのか……? 「えーっと、まずは……邪魔にならない様に後ろにまとめて、と。」 ぐいと髪の毛ごと後ろ側に引っ張られそうになる。網の様なものが頭に付けられたようだ。「お兄さん、少し横になってもらうわね。」がく、と勢いよく背もたれが後ろに倒れる。急な事だったので危うく舌を噛むところだった。「これからお顔の毛を剃るから、絶対、ぜえ~ったい動いちゃあだめよ!」彼女のカミソリを持つ手は緊張で震えていた。全く以て不安しかない! ――そもそもなぜこんなことを?――その疑問は次の瞬間には霧散していた。先程の様子とは裏腹に、手際よく肌の上を刃が滑っていく。的確に産毛だけを剃り落とす腕には感服すら覚えるほどだ。「次はお化粧ね! すぐ終わるから少しの間目を瞑ってて!」指示の通り両目を緩く瞑る。肌の上を液体が伝う音に混じって彼女の鼻歌が聞こえる。「あらあら。眠いのかしら? 終わったら起こしてあげるから、少し休んでて――。」その最期の言葉を聞くか聞かないかの所で、ゆっくりと意識は深く沈んでいた。◆寒い。いくらなんでもこれは寒すぎる。冷房でも付いているのだろうか。「あら? もう少し寝ていてもよかったのに。」なんということなく答える彼女とは裏腹に、俺は己の異常を呑み込めずにいた。――なぜか全裸になっているのである。何故? ――何時、誰が、何処で、何を。そこまでは解っている。何故だ? 何故全裸に剥かれているのだ? 頭に靄がかかったような不快感と視界がぼやける酩酊間、そして全身を覆う脱力感。指先を動かそうとしても気怠さで叶わない。「よいしょ……っと。」少女に上体を起こされる。為すがままにしていると、何か胴衣のようなものを着せられたようで、肩にズシリと重みが圧し掛かる。「まずは……。」青い塊のようなものが何となく見えた。あれが服だろうか?「楽にしていて。後は着るだけだから。」少女が足元に移動し、俺の右脚を布で覆っていく。滑らかで冷ややかな布地が足首からどんどんと侵略し、太股の半ばで止まる。反対側も同じようにされている最中に、あまりにも容易く布が上がったことに気付く。普通、足の毛なりなんなりの抵抗感はあるはずである。その感覚が一切ないということは――おそらく剃られてしまったのだろう。そうしている間にどんどん衣装が着せられていく。どうやら帯のようなものを巻いているので今着せられているのは着物なのだろう。――やけに肩が肌寒い。奇妙な悪寒と肌に纏わりつく衣装の感触で心拍が跳ね上がる。「最後にこれをつけてっ……と!」頭に何か被せられる。視界に薄い桃色の毛が混じる。鬘の類だろう。後ろ側に頭の重心が偏る。「完成よ! ……あら? まだぼうっとしているのかしら? 寝坊助さんね。」パンっ! と目の前で炸裂音がする。少女が手を叩いたらしい。冷水に叩き込まれたかのごとく目が冴えていく。「あれ、は、あれ?」意味を成さない言葉が赤子の様に口から止めどなく飛び出す。少女はそのこと如くを無視して布に覆われていた鏡を解き放った。そこに映っていたのは露出を増やすために布地を減らした着物に身を包んでいる、獣の耳を備えた、桃色の髪の少女であった。先程の胴衣は人工的なシリコンの乳房であったようで、遠目に見れば豊かな胸を持つ、背の高い女に見えないこともないだろう。露出した肌は予期したとおり、一本の無駄毛すら認められず、上から何か塗ったのであろう、まるで絹の様に艶やかな肌色であった。「え、何で、は?」疑問がぐるぐると脳内を駆け巡っては意味もなく消え去っていく。疑問を抱くべきなのに何一つとして口に出せない。この少女は一体何だというのか。それすらも霧散していった。「さぁ、行きましょう!」厚底の靴を履かされて覚束無い足元もお構いなしという風に、少女は俺の手を引いていく。今となっては俺もそのうちの一人ではあるが外はまだ珍奇な衣装に身を包んだ人々でごった返していた。露出した肌に冬の風が厳しく突き刺さる。足元から突き上げるような寒さで、下着すら脱がされていたことを思い出す。――これ、相当やばいのでは?そんな俺の内心を慮ることなく、少女はぐいぐいと俺の手を引き人だかりの内側へと進む。人々の目線が痛い。何も言っていないが、その全てに場違いだと責められているような気がして内心穏やかでない。「着いたわ!」ふらつく足元を如何にか抑えつつ、辺りを見る。フラッシュとシャッター音に満ちていた。思わず全身の血の気が引く。――どうやら撮影スペースらしい。ただでさえコスプレ女装という常軌を逸したことをしているのに、その上それを記録されるなど正気の沙汰ではない。しかし、この場から逃げ出そうとしても両足がそれを許してくれない。「すいませーん。一枚いいですか?」「ええ、いいわよ!」デジタルカメラを構えた男が死刑宣告にも等しい言葉を放ち、少女はそれを易々と受け入れた。「うーん、ちょっと表情硬いかな?」男の言葉はもっともだ。そもこんな状態でまともな表情など出来る訳が無い。だがしかし、それを咎めるように少女は言う。「ほらほら、もっと笑ってちょうだい?」その言葉に従う様に、勝手に口角がつり上がっていく。――おそらく、今俺はとてもいい笑顔をしている、もといさせられているのだろう? なぜか、それすらも良く判らない。ただこの少女が何かしら良くないものであるという、直感にも似た何かの訴えを漸く認識しだしていた。だがもうそれは遅すぎたのだ。