上記で論じたように、この宇宙は一見、変転極まりない流行の世界に見えな
がら、実は何一つ失われることのない不易の世界である。流行こそ不易であり、
不易こそ流行である。この宇宙の姿を人の世に重ねたとき、見えてきたもの、
それが「軽み」である。人生は確かに悲惨な別れの連続だが、それは流行する
宇宙の影のようなものである。そうであるなら、流行する宇宙が不易の宇宙で
あるように、悲しみに満ちた悲惨な人生もこの不易の宇宙に包まれているだろ
う。そう気づいたとき、芭蕉は愛する人々との別れを、散る花を惜しみ、欠け
てゆく月を愛でるように耐えることができたと思う。これこそが「軽み」であ
る。余計に意識に煩わされないで、風景を直接的に捉えているからであろう。
それは、やがて心のねばりを去った「軽み」の境地に通ずる。
このように「軽み」は「不易流行」と密接なかかわりがある。とともに、「軽
み」は「不易流行」に内在する「古び」・「重し」の反省から模索されたとする
ことである。従って、「軽み」も「不易流行」からの昇華であると言ってもよ
かろうと思う。芭蕉が『ほそ道』の旅の中で確信に達した「不易流行」の理念
に基づき、これもこの旅の中から胚胎した「軽み」への志向を実現するための
苦心を凝らしていた。