仮にも、ヤタガラスである彼の言葉に逆らうような命しらずなど――生まれてこの方、出くわしたことがなかった。「……これを受け取って!」玉依姫は、袖から小さな袋を取り出すと、頭上にいるクウソに向かって掲げた。「…………」クウソは高下駄をぶらぶらと指先で振りながら、物珍しそうにしばし玉依姫を眺める。姫は、袋を差し出した姿勢のまま動かない。二人は無言のまま、しばらく見つめあっていたが――やがてクウソは背の黒い翼をバサッと広げ、枝を蹴ると、軽やかに玉依姫の前に降りてきた。「……貢ぎものか? 心がけはいいな」横柄な口調で言うと、クウソは玉依姫の手から小袋を取り上げる。「これは、なんだ?」袋の口を縛った紐を解きながら、クウソは訊ねた。玉依姫は、ほっとして答える。「……干した石榴の実よ。薬になるの。貴重なものだから……」「ほう」クウソは姫の言葉が終わるのを待たず袋の中に指を突っ込むと、貴重と言われた石榴の実をわしづかんだ。そしてそのまま、口の中に無造作に放り込む。呆気にとられる玉依姫の前で、むしゃむしゃと石榴を咀嚼すると、クウソはニッと嗤った。「……知っていたか? 石榴の実は、血の味がする。――お前を喰らうと、こんな味がするんだろうなあ」「――」玉依姫は黙ったままクウソを見つめていたが、やがて、すっと右手を上げた。そして彼の右頬を、パンッと打つ。「――女ぁっ! 何をする!?」「……貴重な物だって、言ったじゃない! それに、その実はおなかが痛くなった時に食べるの! そんなに沢山食べて、反対のことになっても知らないから!」顔を叩かれたクウソはすぐにいきりたったが、姫は頬を膨らませて彼を叱りつけた。クウソは思わず、きょとんとなる。彼はそのまま呆然と姫を見つめていたが――やがて突然、激しく肩を揺らしはじめた。「……は、はははっ! なんだ、お前。――ほんとに、空白地帯の管理者かあ? ただの変わり者だろうっ」玉依姫を指差しながら、クウソは、おかしくてたまらないという風に、けたけたと笑い続ける。そんなクウソの姿からは、先程までの厳しい雰囲気がみじんも感じられなかった。それどころか、屈託なく笑うその姿は、まるでどこにでもいる人間の少年のように思える。玉依姫は、クウソがはじめて見せたその笑顔を……何故か不思議な気持ちで、いつまでも見つめていた。「……お前、実はヒマなんだろう」枝の上に寝そべったまま、クウソは玉依姫を見下ろして言った。「暇じゃないわ。朝から日が暮れるまで、巫女の務めで大変なんだから」根元の切り株に腰をかけたまま、玉依姫は言い返す。「じゃあなんで、こんなに毎日毎日来るんだよ」「……」クウソに追求された玉依姫は、言葉を返すことができなかった。あれ以来――クウソに石榴を渡しに来て以来、玉依姫は毎日のようにこの森へ来ていた。大事な務めの合間をぬって、他者の領域へと通う――そんな己を、姫は自分でもちょっとおかしいと思う。だがそれでも、彼に会いに行きたいと思う気持ちを押さえることはできなかった。「……と、友達、だからよ」「――トモダチ?」「そう。私とあなたは、もうお友達になったの。だから、遊びにくるの――いけない?」「友達――ヤダカラスの俺と、巫女のお前が、ねえ?」「……いけない?」玉依姫は顔を上げて、不安そうにクウソを見つめる。すると彼は、何故かすっと姫から視線を逸らした。「……別に。まあ、俺も長い間、烏たちだけが相手で退屈だったからな。――いい暇つぶしになるさ」玉依姫の顔を見ないまま、クウソは言った。「そう……よかった」