あの子ったら、馬鹿なのよ。すっかりくたびれた黒い帽子を被りながら、姿見と向き合う。すると、自分の緑色の肩に、すらり、白くて綺麗な手が置かれるのが見えた。「大事なのよ、ポピュラリティ。私のアドバイスをよく聞いてね、エルフィー」髪をすかれて剥き出しになった耳に、明るい声が転がる。くすぐったい心地。後ろで揺れるピンクのスカート。パタパタと元気な足元。それもこれも、もう遠い日のことなのだけれど。目を閉じて、再び開けると、姿見には黒い服を纏った悪い魔女が一人。消えたはずのウィキッド。まだ、ここにいる。皺の数を増やしながら。大好きな人と。幸せなんて感じながら。昔の真似をして髪を払った。きらきら、きらきら。馬鹿みたい。いいえ、あの子ったら、本当に馬鹿なのよ。着飾って、かわい子ぶって、みんなに愛されたくて仕方が無いの。そんな風に寂しん坊で、私となんら代わりがないんだわ。だから、きっと今頃は、たくさんの人に囲まれて上手くやっているでしょうね。愛されることに感謝したりして、おはようおはようと今日も挨拶してるんでしょうね。そう思うと、あの子ったら、本当に本当に馬鹿なのよ。努力家で、良い子なのだけど、愛されるために一生懸命で、せっせと動いていて。あの子の才能は愛されることだけじゃなくて、愛することなのに。気づいているかしら、その素晴らしい才能のこと。躊躇いもなく私の肌に触れた人。抱きついて、抱き締めてくれた人。何にも知らない間抜けな顔をして、偏見をぽいっと捨てる人。一緒にお腹の底から笑って、一緒に涙を我慢した人。喧嘩した人。仲直りした人。約束をした人。幸せを願っている人。私の、たった一人の大切な友達。実はずっと持っている、あの子のピンクの花飾り。それを棚から取り出して、久しぶりに身につけてみた。まるで変な植物のような、あの子と違って全然可愛くない私。「元気にしてる? グリンダ」姿見を見ながら呟いて、何をしてるのかしらと一人で笑った。そんな時に草の擦れる音が聞こえてきて、次にドアがノックされる。「エルファバ、入っていいかい? すぐ来ると思ったら、ずっと来ないんだから。朝ごはん、待ちくたびれたよ。パンが冷めてしまう」「ごめんなさい、フィエロ。いいわよ、入って」声を出すと、思ったよりもコロコロとした音が出てしまった。扉を開けたカカシさんは、その目をパチクリと瞬きさせて、私を眺める。「なんだい、朝から可愛く笑って。ピンクの花で、おめかしまでしてさ。ああ、なんだかグリンダを思い出すな」「なに、フィエロ、可愛いグリンダを思い出しちゃったって? やっぱり私じゃなくて、あの子がいい?」「やれやれ困ったな」たわいないのやり取り。彼は溜息の後に私にキスを一つ。フィエロとのキスは、なんというか、自然の香り。当たり前だけれど。「ねえ、フィエロ」「なんだい」「グリンダ、今、ちゃんと幸せかしら。あの子ったら、本当に本当に、呆れるくらい馬鹿だから、私は少し心配だわ」手を取って小さく呟くと、彼は大きくカサカサと笑った。「エルファバ、君は今、ちゃんと幸せかい?」「それはもう、とても」「なら、大丈夫だろう。グリンダは、本当に本当に、呆れるくらい馬鹿かもしれないけれど、君との約束は絶対に守るだろうから、間違いなく、びっくりするくらい周りを幸せにしているだろうし、彼女も幸せでいっぱいだろうね」すとん、と。フィエロの言葉が胸に落ちる。そうだわ、何を心配していたのだろう。あの子ったら、馬鹿だから、私との約束を破るだなんてこと、考えもしないでしょうに。二人、選んだ道、それぞれの幸せ。私たちには約束がある。「そうね、心配なんてしていたら、図に乗らないでよなんて、あの子に怒られるかもしれないわね」「全くもってその通り。さあ、ごはんだごはん。朝ごはん」フィエロに続いて部屋を出ようとした私は、思い出したように気恥ずかしい花飾りを外し、それを棚に戻した。「やだやだ、あなたったら、本当に馬鹿なんだから。寂しん坊は終わりよ、エルフィー」そんな、あの子の声を聞きながら。