今から50年前の石英ガラスは、ただ形が重要だった。
それに機能性が加わった。そして石英の技術は止まったままだ。
もう小手先の技術では前に進めないのだ。
今、もう一度素材に戻らなければならない。石英は単純なシリコンと酸素の結合物だ。単純すぎるがゆえにやりようがないと思う人もいるだろうが、いやいや、そうではない。単純なほど奥が深いのだ。奥が深いということは、それだけ難しいということだ。
いまさら、素材を研究するほどの優秀な人材は、この業界にいないかもしれない。かつて優秀であったとしても、もう錆びついているのかもしれない。
しかし、もう一度、できるかわからない基本的なところに立ち返ることが、石英ガラスに立ちはだかっている壁を破ることなのだ。日本企業では、もうこういう遊びのようなことをやれることはないかもしれない。もう衰退するしかないのだ。日々の価格競争で疲弊した企業の明日はない。
これをやれるのは、老兵か何も知らない新兵だ。
そろそろ私も老兵になってきた。もう一度、一番おおもとのところを攻めようか。