私(わたし)の趣味(しゅみ)は旅(たび)だ。特(とく)に一人旅(ひとりたび)が好きだ。 私(わたし)たちの生活(せいかつ)は、毎日(まいにち)が同(どう)じ繰(ぐ)り返(かえ)しだ。そんな日常生活(にちじょうせいかつ)に、まるでスパイスのような刺激(しげき)を与(あた)えてくれるのが、旅(たび)ではないだろうか。 今までで一番印象(いちばんいんしょう)に残(のこ)った旅(たび)は、大学(だいがく)3年(ねん)のときに行(おこな)ったインド(いんど)の旅(たび)だ。リュック(りゅっく)一(ひと)つで出掛(でか)けたのだが、見(み)るもの聞(き)くものすべてが珍(めずら)しく、旅(たび)で知(し)り合(あ)った人(ひと)の家(いえ)に泊(と)めてもらったり、路上(ろじょう)で野宿(のじゅく)したり、あっという間(ま)に一(いち)ヶ(か)月(げつ)が過(す)ぎた。 なかでも忘(わす)れられないのがガンジスの旅(たび)だ。河原(かわら)には多(おお)くの死(し)を待(ま)つ老人(ろうじん)たち、彼(かれ)らは座(すわ)ったまま動(うご)かない。そんな老人(ろうじん)の一人(ひとり)に「神(かみ)はどこにいるのか」と聞(き)いたら、笑(わら)いながら自分(じぶん)の胸(むね)を指(さ)した。 この旅(たび)は「生(しょう)とは何(なに)か、死(し)とは何(なに)か」と言(い)う重(おも)い問(と)いかけを私(わたし)に残(のこ)してくれた。私(わたし)もあのガンジスの老人(ろうじん)のように、自分(じぶん)の死(し)と向(む)き合(あ)えるだろうか。座(すわ)ってじっと死(し)を待(ま)つ、老人(ろうじん)の穏(おだ)やかな笑顔(えがお)が今(いま)も思(おも)い出(だ)される。