普段はスマートな動作の多いおじさんがそんな風にするのがおかしくて、わたしは開けてくれている玄関に足を踏み入れた。
いつも真っ先に向かうマシュの部屋ではなくてリビングのソファに通されて、おじさんがマグカップとお皿をお盆に載せて持ってくる。ローテーブルの端にはいつか見たノートパソコンが閉じられていたから、仕事をしていたのかもしれない。
「カフェオレで構わなかったかな。あと貰い物ですまないが、クッキーをどうぞ」
「ありがとうございます」
クマのイラストの入ったマグカップは、いつもおじさんがお茶を入れてくれるときにわたし用に使っているものだ。冷えた指先には、マグカップの温もりがありがたい。
こうしておじさんと二人きりでじっくりと話すのは初めてだったけど、話は意外にも尽きなかった。マシュという共通の話題があれば尚のことだ。
でもそれと比例するかのように、わたしはどくどくと心臓が音を立てるのが止まらない。顔が赤くならないように、となんとかカフェオレの程よい甘さや、上品な味のクッキーに意識を向けていたけど、ふとした瞬間に目に入るしなやかで無骨な手や、笑ったときに見える目尻の小じわ、Vネックの襟ぐりから覗くくっきりとした鎖骨の端が、わたしの何かをじりじりと追い詰めている気がする。この空気は、わたしだけが感じているものだと思いたかった。
中学時代の話で、不意におじさんが短く声を上げて笑う。その様子が幼くて、『後輩のお父さん』だということが一瞬頭から吹き飛んでしまった。その動揺がとうとう指先に伝わり、手にしていたクッキーを床のカーペットに転がり落としてしまう。
「すみません!」
「いや、いいよ。気にしないで、今ティッシュを……」
ソファから降りて床に屈んだわたしと、ボックスティッシュを手にしたおじさんの視線が絡む。
何故か、おじさんは床にティッシュを置くとそのまま手をついて、屈むわたしにずい、と身を寄せた。わたしは動けない――動かない。
「藤丸さん。逃げて欲しい――」
そう懇願されても、わたしはただ目を閉じただけだった。
唇に吐息が触れ、次の瞬間には柔らかな人肌を感じる。角度を変え、触れ合う強さを変えながらの唇は、く、っと力を込めてわたしの唇までも開き、その間からぬるりと舌が入ってきた。
後ろ手にカーペットに手をついて、わたしはされるがままになるしかない。何しろ経験がないのだ。
それを探るかのように、おじさんの舌は引っ込もうとしたわたしの舌先を捉えて絡める。上顎やほっぺたの内側を舌先や舌の腹でくすぐられて、粘膜が擦れ合うことがこんなにもぞくぞくするのだと初めて知った。
水の跳ねるような音、そして合間に唇を吸われてちゅ、とかわいらしい音がする。
どれだけそうされていたのか、唇が腫れぼったいと気付いたのは、縋るようにおじさんのセーターの袖を掴んでいることに気付いてからで、そして天井が見えると気付いたのも同じ時だった。
後ろ手についていたはずが、いつの間にか背中の下にカーペットがある。最後にじゅる、と溢れかけていた唾液を吸って、おじさんは顔を離した。
わたしを見下ろすおじさんは、今まで一度も見たことのない顔をしていた。目尻は紅潮し、濡れた唇を手の甲で乱暴に拭う。その唇も赤く染まっていた。
「すまない」