「うわ~っ。みんなクリスの事見てるね!」 ラフィニアは鼻が高そうにしているが、当のイングリスには堪ったものではなかった。 女性からの視線は、気恥ずかしくはあるがまだいい。 それは美しい風景や絵画を見るのと同じようなもので、特に嫌な感じはしない。 だが男性からの視線。これは初めて浴びたが……全くの異質のものだ。 イングリスの年齢は12歳だが、大人っぽい外見のため15歳程度に見える。 それはもう、場合によっては男性から女性として見られる年齢なのだ。 イングリスの顔や髪、すらりとした手足、そして特に少しだけ開いたドレスの胸元。 それらに男性の欲望を秘めた視線が、雨あられと浴びせかけられるのだ。 自分とて前世の時代は、このような夜会で麗しい女性がいれば、視線を奪われることもあった。 美しい娘にちょっと注目しただけだったのだが、逆の立場で体験すると、そういった視線を大多数から一斉に浴びる事になるのだ。これは辛い。 あの時の娘達はどういう気持ちだったのだろうか? 今更ながらに前世の行いを反省しよう。不躾だった。「ら、ラニ……! ちょっと掴まらせて!」 イングリスは思わずラフィニアの陰に隠れていた。「どうしたのよ、クリス? 皆見たがってるんだから、隠れない方がいいのに」「だ、だからだよ……! 変な目で見られるし――!」「クリスは大人っぽいもんね。いいじゃない、モテモテよ? いいなあ」「ば、馬鹿な事を言わないで……!」 ひょっとしたら真の女性からすれば、こういう視線は心地良いものなのかも知れない。 だがイングリスは、見た目は絶世の美少女に生まれ変わろうとも、あくまで心根は男性である。今の状況は、同性から欲望を秘めた視線で見られるのと同じである。 それを気持ち悪いと思わずして、何を思えばいいと言うのか。「ううう……とにかく早く、侯爵様の所に行こう!」「わ、わかったわ。クリス」 監察の使者団への挨拶を済ませたら、なるべく早くこの会場から退散しようと思う。 イングリスはラフィニアを引っ張りながら、ビルフォード侯爵の姿を探す。 部屋の最奥の方に、侯爵とその他数人が談笑している姿があった。「お父様!」「侯爵様!」 侯爵は娘達の姿を認めると、嬉しそうな笑顔を見せた。「おぉラフィニアにイングリスか! 二人ともドレスがよく似合っているぞ。この夜会に相応しい花だな。お前達もいつの間にか大きくなったものだ」 そして、二人を周りの人間に紹介する。「ご紹介申し上げる。我が娘ラフィニアと、姪のイングリスでございます」「ラフィニアです。初めまして」「イングリスと申します。どうぞお見知りおきを」 イングリスとラフィニアは、淑女のようにドレスの裾をつまんで一礼をする。「おぉ。君らがラファエルの言っていた妹ちゃん達だな。よろしくな!」 二十代後半の騎士風の衣装を纏った男が、そう言って人懐っこい笑顔を見せた。「わ! ラファ兄様のお知り合いですか!?」「ああ、まあね」「こちらのレオン殿は、ラファエルと共に聖騎士として働いておられるらしいぞ」「聖騎士様……!」 それは、国王により究極の魔印武具を扱う許可を得た騎士の事だ。つまり、聖騎士は漏れなく特級印の持ち主でもある。 確かにこのレオンなる騎士の手の甲には虹色をした魔印が、つまり特級印が煌めいていた。「やって来たのが俺で悪いねぇ。本来ならラファエルに里帰りがてらこの任務を譲るべきだったんだろうが、あいつが忙しくて手が離せなくてな」 レオンは、はっはと笑いながら後ろ頭をかく。聖騎士だとはいうが、堅苦しくない性格のようだ、服の着崩し方や無精髭がそれを物語っている。「こちらが監察官のシオニー卿だ」「美しいお嬢様方。どうぞ、お見知り置きを」 四十がらみの、口ひげを生やした紳士的な男性だった。「そして天上領から来られたご使者が、あちらだ」 ビルフォード侯爵の視線を受け、少し離れた所にいた青年が振り返る。 その顔は、イングリスの勘違いがなければ、見知ったものだった。「ら、ラーアル殿……!?」 武装行商団側を率いていたランバー氏の息子、ラーアルだった。「やあ、久しぶりだな。イングリス」 ラーアルがにやりと笑う。その笑顔の印象は、少年の頃とあまり変わらない。 しかし、やはりイングリスの見間違いではなかったようだ。 一体何故、彼が天上人としてここにやって来たのだろう?