「天にぃ、どうしてないてるの」 くすくすと陸が笑う。だんだんと意識が覚醒し始める中で陸が自分が天に膝枕されていることに気づいた。上から覗き込むような形で陸には天の影が落ちている。 天は陸の言葉にはっとしたように自らの頬を手でさわると「本当だ」と微笑んだ。「おはよう、陸。陸が目を覚ましてくれて嬉しいからだよ」 「なにそれ」 「陸が目をあけてくれるだけでボクは嬉しいんだ。陸が魘されて、夢にすら苦しめられているのかと思うと気が気でないよ」 「でも、オレが苦しい時はいつも天にぃの声が聞こえるよ」 どうしてだろう、と続けた陸の言葉をきいて天がくしゃりと顔を歪める。美しい顔が悲しそうに歪められることに陸は悪いことを言ってしまっただろうか、と不安にかられる。身体を起こし、天の肩に手を置き陸が大丈夫かと尋ねると同時に強い力で抱き寄せられる。陸は瞳を瞬かせ、体にまわされたきついぐらいの拘束を受けいれるほかなかった。そっと陸も合わせて天の背中へと手を回す。「陸を愛してるボクは、ボクだけなんだ」 「えっ、」 「他のものにもう囚われたりしないで、陸。ボクだけをみていて」 それが何を示しているのか一瞬理解できずにただ困惑するばかりだった。愛している、なんて普段天から言われることなどあるわけがなく頬がじわりとあつくなる。どうして天は突然こんなことをいいだしたのだろう――悩み、陸は「あ」と声をあげた。「そうだ、オレ……すごく長い夢を見てたな」 思い出したように陸が言えば少し体を離した天は顔をあげ憮然とした表情を陸に向けた。「夢の中のボクに陸は心を傾けていたんだ」 「……でも、オレあんまり覚えてない」 夢を確かに見ていたような気がする。けれどもそれを朝起きて思い出せないことは珍しくはない、陸の今の状況はまさにそれと同じだった。何か夢を見ていたこと自体は覚えているものの、それが一体どのようなものであった詳細までは思い出せない。「陸が、戻る場所はいつだってここだ」 「……天にぃ、そういえばどうしているの」 陸の場にそぐわない返答が天にとっては求めていたものではなかったのか珍しく不機嫌を露わにした顔のまま天は「陸がここにいてってボクに言ったんだよ」と言った。天がどうしてここにいるのかも、陸はその直前までどのようなことをしていたのかもまるで霧がかけられたように曖昧だった。もしかすれば頭を強く打ってしまったのかもしれないと後頭部をさするがとくに痛みも外傷も見当たらない。「そ、そうなんだ……なんかオレおかしいな記憶が抜けちゃってるような気がする」 「ひとつだけ確認してもいい?」 「なに?」 「ボクが陸のことをいらないと、陸は思ってる?」 咄嗟に笑みを作ったものの、うまく笑えていない自信はあった。その質問がまさか天から投げかけられる日が訪れるとは思ってもいなかった。天が今どういったことを考えて訊いてきたのか考える余裕まではなかった、「いらない、じゃなくてオレがいなくてもっていうか……天にぃにはもうオレがいなくてもとは思うけど」 はぐらかそうとして上手に取り持つことはできなかった。陸の言葉を瞬時に肯定だと理解した天は「狡いね、」と吐き捨てるように笑った。「ボクが陸を愛している世界を陸は求めてるのに、ボクが陸を必要としているとは思ってはくれない」 「……えっ」 「理想に閉じこもるぐらいなら、ボクを見てくれればいいのに」 「天にぃ、一体どうしたの?」 「陸が理想で作り上げた場所へもう二度と帰れないようにしてあげようと思って」 それまで霧がかかったように鮮明に思い出せなかった出来事がその言葉がスイッチとなったかのように、濁流のように流れ込む。あの場所で待ってくれていた優しい天をもとめ、陸は自らここではない場所を選んだのだ。だからこそ天はここにいて、陸を待ってくれていた。目が覚めてもここにいることを確かにおぼろげな記憶の中で約束を交わしている。「……オレ、ここにいるよ。だって、天にぃがオレのことを」 「……」 「夢の中でオレを助けてくれる時に言ってくれたじゃん。あ、あー……」 愛してるってさ、と小さな声でぼそりと呟く。恥ずかしさを紛らわすようにして陸は顔を俯かせ「言ったよね」と念を押す。「……ボクの声が、きちんと陸に届いていたんだ」 「届いてるよ」 確かめるように天が言った。「だとすれば、ボクはもうそれだけで十分だ。ここにいて、ボクの傍にいて、もうどこかへ行かないで陸。どこかへ行こうとするならボクが何度でも陸のことをここに留めてみせるよ」 「天にぃ……」 「陸が欲しいなら何度でもボクは君に愛を伝えるし、何度でも名前を呼ぶ」 「お、オレ別にそういうわけ」 「ボクが陸を離したくないんだ、ボクを置いて帰らないで」 「……天にぃはオレを置いていかないって約束したのに」 しょうがないな、と陸は笑う。天はそんな陸に「たくさんのものに愛される陸が時折愛しいのに、憎らしくなるよ」と言った。憎らしい、という言葉に陸は顔を強張らせる。天はそれを見てやや慌てたように「言葉のあやだけど」と言った。「ボクだけを見ていてよ、陸を好きな気持ちも幻ではないから」 「……オレまだ夢を見てるのかも」 「どうして」 「これが嘘だったら、悪夢の続きだと思っちゃう。だって天にぃがオレのことを好きなんだ、こんなのはオレの都合の良い夢だった」 「そんなのは今更でしょう」 気づけば唇が重なり口づけをされていた、押し当てられたそれがなんなのか理解するのに少しだけ時間を要したのは驚きで思考がついていかなかったせいだ。ついばむように何度か繰り返し天はゆっくりと離れていく。 「夢はもうあのときに終わったでしょう」 「……て、天にぃ」 「陸を愛してる、ここにいるボクだけが本物だ」 暗闇の中できいた、優しい声とそれは酷似していた。夢の中できいた同じような言葉は確信はないが夢の中の天のものではない。目の前にいる陸が好きで、必要とされたかった天が陸を暗闇からすくいあげるために届けてくれた言葉のはずだった。じんわりと胸にとけていく、それを逃がしたくはないと天に抱き着くと驚きつつも天は受け止めてくれた。どこにいてもきっとこの愛おしい人は自分をいつだって暗闇の中にいても帰るべき場所で待ってくれている、迎えに来てくれる。そうして気づけば悪夢からもただの夢からも抜け出して自分が帰るべき場所へと戻れているのだ。