「……なんとなく、ではありますが思い出しました。あの時はお怪我がなくて良かったです」 それを聴いた女給の少女は何故かほっとしたような表情を見せる。「それで……改めて私に何か御用でも……?」「えっと……」 女給は何か言いたそうにしているが終始顔を赤らめ、時折男装女の方を見てはすぐに視線を下に戻してしまう。 再びの沈黙。場にはレコードだけが響いている。どうも心地が悪いのか、男装女はまた原稿用紙に目を落とした。 しかし、痺れを切らしたのか、何か言おうと男装女が困惑した様子で目線を合わせると「いっ……いえっ……! 何でもありません! し、失礼しました……っ!」と、女給は突然声を上げてカウンターの方へ走り去って行ってしまった。これには流石に店内にいた客たちもそちらの方に視線を集めた。 しかしそこには、たった一人、「なんだったのかしら」と首を傾げる男装女の姿しかなかった。 そして少しの沈黙を挟み、再び店内はいつもの様子へと戻っていった。◇ それからというものの、男装女は度々その喫茶に顔を出すようになっていた。 何もあの女給のことが気になるわけでは断じて無いのだ、と自分に言い聞かせながら、だ。 どうやらこの男装女はなかなかに意地が強いらしい。 そんな今日も、例のごとく珈琲を啜り、煙草を片手に持ちながら右手に握ったペンを黙々と走らせる。が、今日はその手が止まることが多く、その度に唸るように声を出しては顔をしかめている。「珈琲お待たせしました……」「……ええ、どうも……」 どうやら依然二人の間にはどこか気まずい雰囲気が流れたまま。「ねぇ、貴女」 突然呼び止められた女給は一度びくりと身体を跳ねあがらせ、怖々と声の方へ振り返る。「……ど、どうか、しましたか……?」「いえ、もしかして私、先日失礼なことをしたのではないかと……」「へっ……?」「いえ、特に深い意味は無いのですが……あの時女性である貴女に軽率に触れてしまったのは失礼だったかと思いまして」 女給はさらに困惑する。何を言っているのか理解できないということと、今の発言のせいでますますこの人物の性別が解らなくなったということに。「そっ……! そんなことないです……!! あのままだったら私転んでたので……」 女給がいかにも慌てた様子で答えると、「そうですか……それならば良かったです」 と、どこか不安そうではありながらも少し安堵した様子の男装女。「でも、いきなりどうしてそんなことを……?」 恐る恐ると言ったところか。何故か不安そうであったり、安堵したしたりという様子の男装女を見て、未だ困惑の表情を顔に張り付けたままの女給は拭いきれない疑問をこぼす。「まぁ……その……なんでしょう、私もよくわからないのですが……なんとなく、というやつでしょうか……?」「はぁ……?」